「煒水の漢詩歳時記」 9月
古代の中国の人たちは、奇数を「陽」そして偶数を「陰」と考えていました。そして、奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていました。特に、九月九日は最も「陽」が強く、負担の大きい節句と考えられていました。しかし、後に、陽の重なりを吉祥とする考えが広がり、今では、最も重要な祝い事の日として「重陽(ちょうよう)の節句」が定着しました。重陽は、高い所に登り、遠くを望んで郷愁や望郷の思いを慰める日となりました。また、重陽の日は、健康長寿のため菊酒を飲み、身に茱萸(しゅゆ:カワハジカミ)を帯びて災厄を祓います。
蜀中九日登玄武山旅眺
王渤(初唐)
九月九日望鄕臺
他席他鄕送客杯
人情已厭南中苦
鴻雁那從北地來
蜀中九日(しょくちゅうきゅうじつ)玄武山に登り 旅眺す
九月九日 望郷の台
他席 他郷 客を送るの杯
人情 已に厭う 南中の苦
鴻雁 那ぞ 北地より来たる
(意味)
九月九日、陽用の節句に故郷を望む台に登る。
他の宴席では、杯を交わし異郷に旅立つ人を送っている。
人々の気持ちは、すでにここ蜀中の暑さには辟易としているのに、
雁はどうして北の地からわざわざこの地に飛来するのであろうか。
【語彙】
旅眺:旅先での眺め 九月九日:陰暦の重陽の節句
望郷台:成都の北にあった台 他席:ほかの宴席
他郷:生まれ故郷でない土地 客:旅人
南中苦:蜀(いまの四川省)の地の暑さ
鴻雁:秋に中国に飛来する渡り鳥。大きなものを鴻といい、小さなものを雁という
那:どうして、「何」と同じ
【作者紹介】
王渤(おうぼつ):650年(永徽元年)〜676年(上元3年)
唐代初期の詩人。字は子安。隋末の儒学者王通の孫。幼くして神童の誉れ高く、六歳で文章を作り、十四歳で科挙に及第した。しかし、左遷が多く、官途には恵まれなかった。
二十歳から二十二歳まで蜀中を遊歴した。この詩はこの時のものである。
楊炯(ようけい)、盧照隣(ろしょうりん)、駱賓王(らくひんおう)とともに「初唐の四傑」と呼ばれた。
秋の訪れを告げる雁は、初夏の燕同様に、季節の移り変わりを人々に知らせる「候鳥(こうちょう)」である。
通常は雁の飛来は秋の到来であり、喜ばしいことではあるが、この詩は「なぜ、この住みにくい蜀へ来るのか」と反問しているところが面白い。これは、雁の来る北方の都に帰りたいという作者の願望なのだろう。
十日菊、六日菖蒲という熟語がある。重陽の節句の菊や端午の節句の菖蒲は値打ちがあるが、節句の翌日の菊や菖蒲は時期遅れであるという意味である。今でいうなら、二十五日のクリスマスケーキといったところか。
佐藤煒水