うたごよみによせて その7「暁」
今年は猛暑の中の祇園祭となっています。
いつもは、梅雨の半ばで始まり、7月17日の前祭の山鉾巡行が終わった頃に梅雨明けというパターンでしたが、今年は、少し異常。温暖化の昨今、これからは、この暑さの中での開催になるのか心配です。
関係者の方々のご健康とご無事を祈念します。
祇園祭は平安時代の869年、全国的に疫病が流行した時、その退散を祈願したのが始まりです。870年以後、毎年の行事となり、途中で中断はありましたが、千年以上続いて今にいたります。
安土桃山、江戸時代に盛大となり、その時の町組みの整備により、経費の負担なども含めて町衆の祭となっていきました。
祇園祭が始まった頃は、古今和歌集(914年ごろ完成)や新古今和歌集(1205年)が作られた時代。
そして、鎌倉時代の1235年ごろに、冷泉家の祖である藤原定家が、京都の小倉山(嵯峨野)の山荘で、古来の歌人100人の和歌を選んでつくった「小倉百人一首」は有名で、その中の歌が作られた頃になります。
さて今回のテーマの「暁」。
これは、未明、夜中から明け方までのことで、明け方といっても、まだ真っ暗な状態を指します。
先程の「小倉百人一首」の中で「暁」の歌を探してみると、
壬生忠岑(みぶのただみね)の歌があります。
「有明の つれなくみえし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」(30番)
(夜が明けても空に残っている有明の月が、女性との別れの時に無常に空にかかっているのが見えた。同じようにあなたにそっけなく追い返されたその別れ以来、暁(夜明け前)ほどつらく悲しいものはないと思うようになった。)
同じく、この壬生忠岑は古今和歌集にこんな歌も詠んでいます。
「風吹けば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君が心か」(巻第十二恋歌二601)
(風が吹くと、峰で別れてしまう白雲のように、関係を断ってしまう冷たい貴方のお心なのです。)
こちらも、別れを嘆く失恋の歌ですね。
忠岑は、自分より身分が高く裕福な人に、恋する女性を奪われたのでしょうか。未練がましく声をかけても、まったく返事がない。要するに、女性は、身分の低い忠岑を見限り、捨てた。忠岑は、ただ奪われてしまう女性を、見送るしかなかった。と、解釈されているものもあります。
忠岑は、歌の才能があり、「古今和歌集」の撰者として抜擢されましたが、「先祖不見」と当時の本に書かれたように、先祖不明の身分の低い下級武官でした。
古代では、身分差を越えた関係は、長続きはせず、その悲哀を歌から読み取れます。
忠岑の子の「壬生忠見(みぶのただみ)」の歌が、今月「水明7月号」の条幅研究かな部のA課題にあります。
「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」百人一首41番
(わたしが恋をしているという噂が、もう世間の人たちの間には広まってしまったようだ。人には知られないよう、密かに思いはじめたばかりなのに)
この歌は、直接の恋心を詠んでいるのではありませんが、その深い想いと、人に知られてしまった戸惑いの気持ちが巧みに表現されています。
なんとなく、父親忠岑の恋と同様に、控えめな恋の様子がうかがえるなあと、私は思うのですが、いかがでしょうか。
今月の「うたごよみ」の最後に
―「置く白玉の露」が輝きます。露は涙でしょうか。―
とあります。
この「涙」の意味は、何なのでしょうか。
恋のはかなさ? ひとときの別れの辛さ? 失恋の感情?
色々考えられて、余韻を残す文章です。
2025年7月 編集部 北川詩雪