「煒水の漢詩歳時記」 5月
風薫る五月、この季節は本当に心地よい季節です。
五月には端午の節句があります。「端」は端緒などの熟語があるように「初め」の意を、また「午」は十二支の午の意を表します。つまり、端午は最初の午の日という意味です。もともとは五月に限らず毎月端午の日はあったのですが、いつの間にか、五月の端午が節句として定着しました。これは、「牛」と「五」の漢字音が相通じることと、漢代ごろから五月の端午の日を祝う習慣があったことによるといわれています。
ところで、五月五日が端午の節句と決められたことについては、諸説ありますが、最も広く知られている説は、戦国時代の楚の国の宰相であった屈原(くつげん)が、この日、洞庭湖に流れ込む汨羅江(べきらこう)に入水自殺したことを悼んで、土地の人たちが屈原の霊を慰めるために始めたという説です。長崎など各地で行われるペーロン競漕(中国風の舟のボートレース)や粽(ちまき)を食べる習慣もこの屈原の入水自殺と関係しています。
私も一度、汨羅江にある屈原の廟である屈子祠を訪ねたことがありますが、参拝客もまばらで、ガイドの人がここに日本人を案内するのは初めてと言っていたのが印象的でした。
まことに拙作ではありますが、今月は「端午」という自詠の詩を載せました。
端午
男児佳節緑陰村
粽子辛盤蒲酒樽
碧宇遊風樓上鯉
願為雄志至龍門
男児の佳節 緑陰の村
粽子 辛盤 蒲酒の樽
碧宇 風に遊ぶ 楼上の鯉
願くば雄志を為し 龍門に至れよ
(意味)
男の子の節句である「端午の節句」がこの緑の多い長岡京市にもやってきた。
家には、ちまき、祝いの料理、菖蒲の酒も整っている。
青い空のもとには、甍の上を鯉幟(のぼり)が風におよいでいる。
この子も、自分の望みを叶えて、登竜門に至ってほしいものだ。
この詩は、長岡京の西山山麓の光景を読んだものです。
今は高速道路の開通や宅地開発で田園風景もなくなりつつありますが、それでも、晩春の長閑な雰囲気は残っています。